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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和50年(う)182号 判決

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人林又平名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

控訴趣意第一点(判決の公開に関する規定違反)について

所論は、要するに、原審裁判長は、被告人に対する判決宣告の際、殺人、死体遺棄被告事件について有罪を認定した理由の要旨の一つとして、「被害者出嶋武夫(以下、出嶋という。)の住居地加賀市山代温泉から犯行現場である江沼郡山中町東町二丁目通称南又林道までの距離が約八キロメートルであり、南又林道から出嶋の短靴が発見された加賀市潮津町ロ一九番地の地点までの距離が約一五キロメートルであることから、犯行には自動車が使用されたことが明らかで、自動車の運転については原審相被告人川北重昭(以下、川北という。)は未熟であるが、被告人は運転に慣れておることからして出嶋殺害等に被告人が加功していると考えられる」旨、更に「川北は被告人から小刀で刺されて傷害を受け(原判示第三の事実)ながら、これは熊にやられたことにしておくなどと自ら嘘を言っておる事実があるが、川北の殺人、死体遺棄に関する自白は真実を述べようとしているものと認められる」旨告げながら、原判決書には右各点が何ら記載されていないから、原審は判決宣告後その内容を削除変更したものと認められるところ、公開の法廷で宣告された判決の内容を削除変更した判決書を作成し、これを判決書原本とすることは判決が公開の法廷で宣告されなかったと実質的に異ならないから、原審の前記措置は判決の公開に関する憲法三七条一項、八二条、裁判所法七〇条、刑事訴訟法三四二条等に違反するもので、刑事訴訟法三七七条三号により原判決は破棄を免れない、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決が公開の法廷において宣告されたことは明らかで、仮にその際説示された判決理由の要旨中の一部である所論指摘の点が原判決中にそのとおり記載されていないとしても、原判決(弁護人の主張に対する判断及び補足説明)欄第一項に詳細説示する内容と比照すれば、なお原判決は刑事訴訟法三四二条、刑事訴訟規則三五条に則り適法に宣告されたというべきで、原判決宣告時の口頭説明と判決書記載内容との間に所論の程度の異同があるからといって原審の訴訟手続に所論のような判決公開に関する規定違反があるなどとは到底いえない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点中原判示殺人及び死体遺棄の事実に関する事実誤認について

所論は、要するに、被告人は殺人、死体遺棄被告事件(以下、出島の件ともいう。)に全く無関係で無実であり、川北供述は前後矛盾しそれ自体不自然不合理であるうえに、客観的証拠とも矛盾し信用性に欠け、被告人と出嶋の件とを結びつける物的証拠も何ら存在せず、また、出嶋の件と被告人の強盗致死未遂事件とを関連づけるべきではないのに、川北供述には信用性に欠けるところがない等として、出嶋の件につき被告人を有罪とした原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というものである。

しかし、原判示殺人及び死体遺棄の事実は所論にもかかわらず《証拠省略》により、これを十分肯認し得るのであって、記録を精査し、当審における事実取調べの結果に徴しても、原判決が右事実に関し認定・説示するところに、所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

そこで右判断に到達した所以を所論に即して示すこととする。

(川北供述の信用性について)

一  まず、本件の発覚及び川北の自白の経緯をみるに、

(一)  川北が、昭和四七年五月一四日、加賀市須谷町地内の通称学校山の下林道において、被告人から切出し小刀でその右脇腹を突き刺す等される事件が発生し、川北は当初熊にやられた旨供述していたが、その負傷状況等が不自然であるとして追及を受け、結局被告人の犯行である旨供述したため、被告人が同日右事実で逮捕されるに至った。

(二)  その後の同年七月二六日午前一一時ころ、石川県江沼郡山中町東町二丁目山ホの部一四一番地通称南又林道横谷川から白骨死体が山中町役場職員によって偶然発見され、右白骨死体の頭蓋骨右前頭部には陥没骨折がみられるほか、同時に発見された遺留着衣に一見して刃物によるものと認められる損傷痕が存在したことから、右は他殺によるものであるとして捜査が開始されたところ、同日夜白骨死体発見のラジオニュースを聞いた出嶋の家族らが行方不明になっている出嶋ではないかとて大聖寺警察署に赴き、着衣等から死体が出嶋であることを確認した。

(三)  捜査当局は、出嶋の家族の供述等から川北と被告人が出嶋と一番最後に出会った者らしいと判断し、同月二八日出嶋殺害の被疑者として川北の取調べを開始し、道村警部補による人定事項、経歴、家族関係の取調べが終ったころ、石川県警察本部刑事部捜査第一課から派遣されていた山田正春が取調室に入るなり、川北に「何というお前は恐しいことをしたのか。ああいう恐ろしいことをして判らないと思っていたのか。」「正直に話す気があるのかないのか。」等と追及すると、川北が「はい。」と神妙に俯いたため、犯人に間違いないとの勘を働かせ、更に糺すと、川北が興奮しながら「いや、あれはわしがやったのではない。あれは、わしが傍におって見ていただけだ。」と口火を切り、また、「あれをやったのは霜上(被告人霜上の意)で、霜上がナイフで三回ほど突いて逃げて倒れたところを、まさかりで殴って殺したのだ。」と犯行の粗筋を供述し、その後死体の遺棄、靴の投棄等についても供述するに至り、更に捜査官は川北の逮捕状が発付されるまでの間に同人にその靴の投棄場所を案内させ、翌日その付近を捜索した結果出嶋の靴を発見した。

以上の次第であって、川北が少なくとも共謀による出嶋の件の犯人であることは疑いない。

二  次に、被告人もその共犯者であるか否かにつき、川北供述の信用性を検討するに、川北は昭和四七年五月七日夜の被告人との出嶋殺害の共謀の事実及び同月一一日のその実行の事実に関し前叙のとおり自供を始めて以後終始一貫してその事実を認めて争わないのであるが、まず、右川北供述にいう出嶋殺害の前後の事情、すなわち、川北の宮川作衛から借金するに至る経緯、出嶋に対する保証人依頼の交渉経過、被告人の川北に対する強盗致死未遂事件の発生等の事情を検討するに、原判決挙示の関係各証拠を総合すると、

(一)  被告人は、昭和四七年ごろ父鉄男から月々二万円の小遣いを貰いながらも、トルコ風呂での遊興に使う等して出費が嵩み、小遣銭の不足に悩んでいたが、父にその旨訴えてより多額の小遣銭を得ることも叶わなかったことから、昭和四七年三月当時加入していた講(勝友会、生流会)から各二万円を借り入れ、勝友会分については毎月五、〇〇〇円宛返済の約束であったものの、翌四月分は返済できず、五月初めに返済請求を受けて四、五月分を一括して支払い、生流会分については毎月二、〇〇〇円宛返済の約束で四月分は同月二二日約定通り支払ったものの、その余の未払金については手持金を遊興費に使ってしまってその返済に苦慮し、況してや勝友会において計画した同年六月三日の関西旅行の費用調達にはその方途とてなく、当時金銭捻出に大いに苦慮していた。

(二)1  被告人は、右のとおり同年六月に予定された勝友会の関西旅行に行く腹づもりで、かつ、その資金捻出にも苦慮し家から月々二万円の小遣い以外に金銭を貰える事情にもなかったのに、同年四月下旬ころ、川北に対し、家庭内がおもしろくないからとて大阪方面への家出話を持ち掛け、旅費等については被告人も家から貰ってくるから川北も準備せよと話すなどし、更に、川北が右家出話に賛成したものの、資金の準備ができない旨被告人に伝えると、飲み屋「銀」で知り合い自己を宮本という者であると氏名を偽り紹介してあった金融業者宮川作衛に川北を引き合わせ右家出諸掛のための借金の斡旋をした。

2  そこで被告人は同月下旬ころ一人で宮川方を訪れ、モーテルと漆器業を営んでいる家の息子(川北のこと)にその父親の手形で金を貸してもらいたい旨依頼し、その際宮川から手形及び印鑑証明書持参のうえ、借主本人を連れてくるよう言われたため、数日後一度は川北に同道して宮川方を訪れたものの、その後は二、三回自己の運転する軽四輪自動車で川北とともに宮川方前まで一緒に行きはしたが、宮川と面接することを殊更に避け借金の折衝は全て川北に任せた。

3  川北は前叙のとおり宮川と借金の交渉をし、保証人とその印鑑証明書が必要である旨告げられたため、被告人に相談したところ、被告人は自分が保証人となるのは拒否し、保証人の件は都合つけるとて、同年五月初め両名で被告人運転の軽四輪自動車で呉藤文雄方に行き保証人になってくれるよう依頼したが、同人から拒否されたため、出嶋を保証人に立てることとし、最初は被告人ひとりで、次いで両名連れだち出嶋方を訪れ、その旨依頼し、同月七日夜両名で軽四輪自動車で出嶋方に赴き、謝礼を約束して承諾を得、翌日右約束に基づき、右三名で軽四輪自動車で加賀市役所へ行き、出嶋が印鑑証明書の交付を受け、当日夜川北が被告人の傍において電話で宮川に保証人の印鑑証明書がとれた旨連絡したところ、同人から同月一〇日ころ来るよう要請された。

4  然して被告人と川北は、同月一〇日午後八時半ころ軽四輪自動車で宮川方に赴き、川北のみ宮川方に入り、同人に金額等白地の約束手形、保証人の印鑑及び印鑑証明書を交付すると、同人は手形金額として三〇万円と記入し、裏書人出嶋と記載したうえ、出嶋の印鑑を押捺し、川北に対し宮川作衛振出名義の額面二五万二、〇〇〇円の小切手を交付し、出嶋の印鑑を返した。被告人と川北は帰途出嶋と会い、同人に対し、川北において明日小切手換金後礼をするから、午後八時半ころ同じ場所にでているよう伝え、印鑑を返戻し、更に被告人と川北は、翌一一日午後〇時半ころ落合い、自動車で北国銀行小松支店に赴き、小切手換金後、川北から被告人に礼として一万円を与え午後一時半ころ、山中に戻り、両名は別れた。

5  被告人は、川北が前記のとおり旅費を調達しえたのに、その後自から誘った家出について川北と話しもせずに日を過ごし、同月一四日午後〇時半ころ、山中町役場付近で出会った川北を軽四輪自動車に乗せて福井県東尋坊方面をドライブし、その帰路である午後六時過ぎころ、帰着先の山中町への道筋からは外れた人気もない加賀市須谷町地内の通称学校山の下林道内に、川北を「蕗を取ろう。」等とて連れ込み、前叙のとおり換金した現金を所持する川北を殺害したうえ、これを強取せんとして突然同人の背後からその顔面にクリープの容器に入れた水を浴びせかけて目つぶしをし、切出し小刀でその右脇腹を突き刺し、更に顔面、胸部等に切りつけるなどした(右犯行の動機は、前記(一)の講からの借入金の返済資金及び講の関西旅行の費用を調達せんがためのものであった。)。

6  以上に認定した車両の運転はすべて被告人がし、川北は全くこれに関与しなかったほか、被告人と川北は同年四月下旬以降同年五月一四日までの間、繁く接触し、その間自動車運転免許証がないのは勿論、運転技術にも習熟してない川北は、ほとんど被告人の運転する軽四輪自動車に同乗して行動をともにしていた(なお、川北は前叙のとおり被告人に小刀で刺突等された際、後記認定のとおりその軽四輪自動車を片手で運転し逃走している事実があるが、川北は被告人に殺害されるとの恐怖感からそれを発車させて必死に逃走しようとしたにかかわらず足が少し不自由な被告人がその脚力で余り引き離されもしないで追走できた程度のゆるい速度でしか走行できなかったもので、右事実は川北がいかに運転技術に習熟していなかったかを示すものである。)。

(三)  右認定のとおり被告人は川北と大阪方面へ行く意思もなく、自分の旅費の準備もできなかったのに、川北には被告人分の旅費はあるように申し向けて川北にも同人分の旅費を借入れ調達させ、その際保証人捜し等当人以上に熱心に努力しているばかりか、借金交渉の際、宮本という偽名を名乗り通し、川北と宮川方前まで赴きながら、二回目の交渉以降は川北のみ宮川方に入れ自己は表面に出ず、更に、同月七日川北と出嶋方に赴いた際、その母親から住所を問われるや、山中町民であるのに、「山代の○○区のものや。」と嘘をつく等、氏、素性を偽る等川北の借金に霜上則男という人物が関係していることを隠そうとする尋常ならざる行動をとっているといわねばならない。

(四)  他方、出嶋は、同月一一日午後八時ないしこれを少し過ぎたころ自宅を出たまま音信不通となり、前叙のとおり同年七月二六日出嶋宅から直線距離でもおおよそ五・五キロメートルある通称南又林道横谷川から家出当時の着衣とともに白骨死体となって発見されるに至り、更に家出当時出嶋の履いていた靴が、川北自供に基づき白骨死体発見地点から直線距離でおおよそ一二キロメートルある加賀市潮津町内の草地内から発見されたもので、白骨死体発見地点が相当の山の中であるという地理的状況並びに白骨死体及び靴の発見地点及び出嶋方相互の距離関係等からして出嶋の件や靴の投棄に関連して自動車が利用された蓋然性が極めて高いものと見るのが相当である。

以上の事実が認められ(る。)《証拠判断省略》

右認定の事実関係からすると、被告人は講に対する借金の返済金及び講仲間との関西旅行費用の捻出に苦慮し、これを得んがため、川北と大阪方面へ行く意思もないのに、言葉巧みに川北を欺罔して旅費等の資金を用意させ、川北を殺害したうえ、右金銭を強取せんとしたもので、川北に宮川から借金させたのもまさに右強取計画実現の一環行為であったと推認されるのであり、然らば被告人が右借金の保証人となった出嶋をも殺害してしまわなければ後々川北に対する強盗殺人の事実が出嶋の線から露見しかねないと危惧し、出嶋の殺害を意図することも十分考えられ、かかる事情を前提としてみると、本項(三)に認定した被告人の異常な行動も合理的に理解できるのであって、所論のように出嶋の件の動機が不自然不合理であるとはいえない。

そこでこの見地から更に前記認定事実を基礎にして出嶋の件に関する川北供述を仔細に検討すれば、この点に関する川北の「被告人が昭和四七年五月七日夜出嶋の保証承諾を得た帰路、灯明寺付近において、川北に対し、「宮川から金を借りた後、礼をやるといって出嶋を誘い出し、出嶋をバラそう。そうすれば借金は返さなくて済む。俺はナイフでやるから、君はマサカリでやれ。」等と提案し、兇器を用意するとて、昭和四七年五月一一日夜被告人方工場からヨキとスコップを持ち出してブルーバード車に積み、被告人と川北がその後被告人の運転する同車に出嶋を乗せて甘言を用い南又林道内に連れ込んだうえ、被告人において同車後部座席右側に着席中の出嶋の左側に行き、突然その左脇腹を刃物で刺す等して殺害し、両名で死体を谷川に遺棄した後、同車で被告人方工場に戻り、被告人がヨキ等を隠し、更に潮津町まで行って被告人が出嶋の靴を投棄した。」という趣旨の供述は極めて自然で合理的なものとして理解しえ、かつ、爾余の証拠により認められる客観的事実、例えば自動車運転に習熟しない川北は、当時繁く被告人と接触し、その運転する自動車に同乗して行動を共にしていた等の事実ともよく符合し十分措信するに足りるものと断じうるのである。

三  しかしながら、所論は、川北供述の信用性を多岐にわたり論難するので、事案の重大性にかんがみ、それらの点につき更に検討する。

(一)  まず所論は、原判決は、被告人が父親霜上鉄男所有の普通乗用自動車ブルーバード(以下ブルーバードという。)を本件犯行に使用した蓋然性があり、その後部座席のビニールカバーの縫い目の糸部分から人血が検出されたことを結局は川北供述の信用性を裏付ける情況証拠としているが、右人血はその血液型も判定し得ないほどの微少なもので、かつ、それがそのビニールカバーにいつごろ付着したか判明しないばかりか、川北は原審第八回公判期日に被告人がブルーバードの後部座席で出嶋の左横に座りその左脇腹を刺したと供述しているのであるから、川北供述からすれば血液は後部座席中央ないし左側に発見されてしかるべきであるのに、右人血付着部分は川北供述を前提とすればそこに付着するとは考えられない後部座席の右上端部であり、また、同供述によるとビニールカバーの上に敷かれた青色シートマット上に血痕があったというもので、これが裏面にまで浸透する可能性はないことからすると、前記人血付着をもって川北供述を裏付けることはできない、というのである。

そこで検討するに、証拠によれば、被告人方には軽四輪自動車とブルーバードの二台があり、普段は被告人が軽四輪自動車を、被告人の父鉄男がブルーバードをそれぞれ使用しているが、駒木正治は昭和四七年五月一一日午後九時ころ山中ゴルフセンターに行った際、同じくゴルフの練習に来ていた鉄男から、「息子が車に乗っていったから、帰りに乗せていってくれ。」といわれて、午後一〇時ごろ、鉄男を同乗させて、被告人方付近まで送ったこと及び被告人自身もブルーバードの鍵を所持していることが認められ、したがって、被告人が同日夜ブルーバードを使用したことは十分考えられ、また、ブルーバードは鉄男が使用していた限りにおいてはその座席に人血を付着させるような出来事は全くなかったと認められるのに、石川県警察本部刑事部鑑識課科学捜査研究室技師中島正雄が昭和四七年七月二八日等になした鑑定等の結果、ブルーバード後部座席のビニールカバーの右端から約三一・五センチメートルの縫い目の糸の部分に人血が検出されるに至ったが、川北供述は所論のようにブルーバード後部座席上の青色シートマットだけに血痕が付着し、同座席ビニールカバーには血痕が付着していなかったとまで明確に限定しているとは解せられないから、この点で川北供述と前記血痕付着状況事実とが相矛盾しているとはいえず、更に川北供述によると被告人が出嶋殺害後、被告人方工場前で後部座席上の血痕を布切れで拭き取っていたのであるから、その際付着血液の一部が原付着場所から前示縫い目のあたりに移りついたことも十分にありえ、たとえ所論のように川北供述から考えられる血液流出部分の位置と血痕付着の現実の発見箇所とが厳密に一致しないとしても、これを異とするに足りず、以上の事実によれば、所論にかかわらず前記人血付着の事実及び被告人のブルーバード使用の高い蓋然性は、川北供述の信用性を裏付ける一つの情況証拠といえるから、これと同趣旨と解される原判決の判断は相当である。論旨は理由がない。

(二)  所論は、被告人方工場には普段からヨキが存在しないのに、被告人の祖父が山中町四十九院の本籍地で炭焼きをやっていて業務上ヨキを使用したであろうことを根拠に同工場内にヨキが存在したとする原判決は、炭焼きをしていたのは曽祖父であり、炭焼きをしていたのは同工場のできる前である事情に照しても、事実を誤認したものであることが明らかであり、しかしてこの点からも被告人が出嶋殺害当日工場からヨキ等を積み込んだとする川北供述は客観的証拠と矛盾する、というのである。

そこで検討するに、証拠によれば、霜上家では、被告人の曽祖父だけでなく、その祖父も炭焼きを所論本籍地で行っていたことがあり、その後霜上家は住居を変えたが、本籍地在の家屋も依然同家の所有のままで、当時炭焼きに使用したヨキ等の道具は全て同所に保管され、被告人自身も従前から同所にヨキが存在するのを認識していたものであり、また、そもそも一般的にいって山中町においてはヨキ自体普通には使われない珍らしい道具というものでもないから、たとえ被告人方工場にヨキが常備されていなかったとしても、被告人が兇器としてヨキを準備し出嶋の件の犯行前、工場にしまっておくことも十分可能であって、川北供述にいう被告人が工場からヨキをブルーバードに積み込んだという点が客観的証拠に背馳するとはいえず、したがって、原判決には判決に影響を及ぼす事実誤認があるなどとは勿論いえない。

更に、所論は川北供述どおりであるとすれば、被告人が本件犯行後被告人方工場前でヨキに付着した血液を洗ったうえ、同工場に隠匿したというのであるから、被告人には他所にヨキを隠匿する意思があったと認められず、それ故同所からヨキが発見されるべきであるのに、捜査官の捜索にかかわらずこれが発見されないのは、川北供述の信用しえない所以の一であるという。しかしながら、洗ったヨキを工場内に隠したという点から被告人がその後も右ヨキを再度工場内から持ち出して他の場所に隠匿することはあり得ないなどとはいえないし、被告人はその後も昭和四七年五月一四日強盗殺人未遂の廉で逮捕されるまでの間に工場に自由に出入りできたのであるから、所論ヨキの未発見をもって川北供述が不自然で、客観的証拠と矛盾するともいえない。論旨は理由がない。

(三)  所論は、川北供述は、被告人が出嶋の頭部をヨキの峯部で殴ったもので、その峯はペコタンと凹んでいた等というが、右兇器の形状と出嶋の頭蓋骨前頭骨の骨折面から推認される兇器の形状とは相即しないから、右両形状は何ら矛盾しないとしこの点が川北供述の信用性を裏付ける客観的証拠であるとする原判決は事実を誤認したものである、というのである。

そこで検討するに、原審第二一回公判調書中の鑑定人何川凉の供述記載部分及び同人作成の昭和四七年八月二二日付鑑定書によると、出嶋の頭蓋骨前頭骨の骨折はほぼ楕円形状(長径約二・五センチメートル)で、低いテント状に陥没し、その最深部は頭骨面より約〇・七センチメートル陥没しており、これは湾曲骨折の部類に属するものといえ、同骨折面から特定の兇器を推定することは困難であるが、テント状に陥没していることから兇器の作用面には突起したものがあり、また、同陥没部に線状様のものがあることからその作用面にも線状様のものがあると推定されるという。

他方、川北供述は、被告人が出嶋の頭部を殴打したと推測する根切りヨキの峯部の形状につき、「ヨキの峯の角がつぶれていた。角はつぶれて欠けていた。ヨキの先端の方は峯の角が欠けていたもので、何かペコタンと峯の方が擦り減ったというか、へっこんでいた。」「昭和四七年押第九五号(当審昭和五〇年押第六八号の二)の符三四号のヨキより峯の部分は擦り減って丸くなっていた。同号の符三三号のヨキの峯より角ばったところがくずれ取れている感じです。」等と述べるが、右川北供述の趣旨は根切りヨキの峯部がかなり擦り減り、先端の角が丸味を帯びていたというに過ぎず、所論のように峯部が凹面状になっていたというものであるとは到底解されず、川北供述にいう根切りヨキの峯部の形状と前記鑑定書等により推認される兇器の形状とに何ら矛盾があるとはいえず、更に前記程度のさほど大きくない陥没骨折もヨキのように相当重量のある兇器であっても殴打する際の加速度、兇器の作用具合等殴打状況如何によっては十分生起しうるものと思料され、また、犯罪は冷静沈着に行われないことが多々ある以上、相当重量のあるヨキのような兇器では刃部でなく峯部が用いられたとするごとき川北供述を特に異とするに足らない(なお、証人川北に対する当裁判所の尋問調書によっても、証人川北は根切りヨキの峯部がペコタンと凹んでいたとの原審供述の趣旨は前記当審認定の意であるとしており、また、当審で取調べた証人及び鑑定人三木敏行に対する当裁判所の尋問調書並びに同鑑定人作成の鑑定書によっても、川北供述にいうヨキの峯部の形状と頭蓋骨骨折面から推認される兇器の形状との間に矛盾、齟齬は認められず、同木村康作成の「被告人霜上則男に対する殺人等被告事件に関する被害者頭蓋骨骨折の成因についての照会に対する回答」と題する書面の記載も右判断を何ら左右するに足るものではない。)。

更に所論は、ヨキの峯部の角が川北供述のように欠けて丸味を帯びるほどに変形することはありえないからこの点でも川北供述は客観的証拠と矛盾しているともいうが、原審で取調べたヨキ(原審押収番号昭和四七年押第九五号の符三三)のように、現にその峯部の辺縁が相当潰れ、その角が丸味を帯びているものが存在するうえ、川北供述では本件犯行に供されたヨキはその変形の程度が前記ヨキに比して更に極端であったというにしても、川北供述にいうが如き形状のヨキが存在しないなどとはいえず、ましてや川北自身ヨキ自体を手に取って詳細に見分した結果認識した事実を述べているというものではないから、川北供述にいうヨキの峯部の損傷程度、形状を所論のように厳密に限定しこれを絶対不動の前提事実として所論のように主張するのは当を得ない。したがって、原判決が川北供述にいう兇器の形状と頭蓋骨骨折面から推認される兇器の形状との間に矛盾がないことを川北供述の信用性を担保する一つの客観的証拠としたのは相当で、論旨は理由がない。

(四)  所論は、川北が本件犯行現場での実況見分時に白昼犯行を目撃したように指示説明しているのは不自然で、捜査官の誘導のままこれに迎合して行ったことの証左であり、それ故川北供述も信用し難い旨述べる。

原審が出嶋の件の犯行時の月令時等とほぼ同一の条件、時を選択して実施したと推認される昭和四八年五月三〇日午後八時三〇分から午後九時一〇分までの間の出嶋の件の犯行現場とされる南又林道での検証の結果では、全ての人為的光源を消した状態下でも、川北供述に沿った犯行時の川北、被告人及び出嶋の位置関係にある者の各動作の違いを不明瞭ながらも識別でき、また、川北供述に沿った地点に置かれた自動車のルームランプを点灯させると、前記の者らの服装の違いまでも判別できることが明らかとなったのである。しからば、所論実況見分時に、川北がうっすらと目撃した犯行状況ないしこれらから推測した事実を指示説明したとしても特に不自然不合理といえない。

更に、所論は、川北が前記実況見分時の指示説明等は想像で行ったと述べている点からも川北供述が信用性に欠ける、というので検討するに、確かに原審第一〇回及び第一九回公判期日の川北供述中には直接の経験事実に基づかない供述部分が混在していることが認められるが、該部分は、川北の出嶋の件の犯行状況の一部始終を逐一明確に目撃したものでないため、その状況の経過等を供述ないし指示説明する際、その一部につき目撃した前後の状況等から推測した事実を適宜取り混ぜて供述等したため、この点を追及されて「想像で述べた。」等と供述するに至ったに過ぎないものと認められ、被告人の出嶋の件の犯行全体を虚偽架空であると供述するものでないのは勿論であって、川北供述中に右推測による供述部分があっても、所論のように川北供述全体の信用性が損われるものではない。

したがって、原判決が出嶋の件の犯行現場の視認可能性をもって川北供述の信用性を裏付ける一つの客観的証拠としているのは相当で、論旨は理由がない。

(五)  所論は、川北供述にいう被告人による出嶋の刺突部位とその着位の損傷痕とが一致しないのに、原判決がこれが矛盾しないとして川北供述の信用性を裏付ける一つの客観的証拠としているのは誤りである、というのである。

そこで、検討するに、まず、川北供述は、「被告人がブルーバード内で出嶋の左脇腹を一回刺し、更に車外で腹か胸の辺りを刺した。被告人が三回目に刺した出嶋の部位は分からない。」というが、右供述の趣旨はそもそもうっすらと見えた犯行状況を説明するに過ぎず、また、克明に一部始終目撃したものとして供述するものでないことは前叙のとおりである。

ところで、《証拠省略》によれば、出嶋の着衣(背広上着、長袖シャツ、メリヤスシャツ)には多数の損傷が存在し、そのうち左鎖骨部、左乳内側及び左肩外側の三個の損傷のみが皮膚面に達し、右損傷が片刃の刃器によるものと推認され、更に、他のものも兇器による損傷のようにも思料されるが、着衣の破損が著明で判断が困難というのである。

右からすると川北供述と着衣の兇器による損傷箇所とは明確には一致はしないが、川北供述が前叙のようなものである以上、特に矛盾があるとまではいえず、原判決のこの点に関する認定・説示は正当として是認できる。論旨は理由がない。

(六)  所論は、川北供述は出嶋殺害の兇器につき当初はマサカリと述べ、その後ヨキと変更するなど浮動的でこの点でも信用性に乏しいという。

そこで検討するに、確かに川北供述は所論のように変更し、矛盾しているようにも窺われるが、証拠によれば、川北は出嶋殺害の自供を始めたころ、「ヨキ」、「マサカリ」という名称がいかなるものを表象するのか必ずしも十分理解していなかったと認められ、川北が前記名称により本件犯行の兇器として表象しようと意図したものは、捜査段階から一貫して川北が原審第八回公判期日で図示した見取図第三図のような「ヨキ」であること明らかであるから、所論川北供述には実質的矛盾はないといいうる。

(七)  所論は、川北供述に基づき出嶋の靴が発見された事実があるにしても、被告人が出島殺害当夜右靴を投棄したという川北供述を裏付ける証拠とはならないのみか、そもそも川北供述は、出嶋の死体及び靴を除く遺留品は全て南又林道に放置しながら、その靴のみを途中投棄する場所があるのにわざわざ加賀市潮津町まで行き投棄したという点でも不自然不合理で、川北供述は信用し難い、というのである。

そこで検討するに、証拠によれば、前叙のとおり川北の指示説明に基づき、昭和四七年七月二九日、警察官の捜索の結果、加賀市潮津町ロ一九の定者峻所有の草地内から靴が発見され、右発見場所が、川北供述事実中に現われた被告人の運転する軽四輪自動車の進行方向からみて運転席側にあり、かつ、いずれも自動車内から十分投棄可能な範囲内であったことが認められ、右事実は出島殺害当夜被告人が靴を投棄したという川北供述を全面的に漏れなく裏付けるものではないにしても、川北供述の信用性を部分的に裏付ける一つの客観的事実であるに違いなく、また、川北供述によると被告人と川北とで出嶋の死体を遺棄した後、脱げていた出嶋の靴を発見したため、これをブルーバードに入れて持ってきたもので、その後潮津町まで行き投棄したのも片山津のトルコ風呂へ行く機会を利用したに過ぎないというものであるから、川北供述がこの点で不自然不合理ともいえない。論旨は理由がない。

(八)  所論は、川北は原判示強盗致死未遂事件において、被告人に小刀で刺切された際、「熊にやられたことにしておこう。」と被告人を庇う等、当意即妙に頭の回転する人間で、その供述は全体的に信用し難い、というのである。

そこで検討するに、証拠によると、川北の受傷状態をみれば右受傷が熊の襲撃によるものでないことは直ちに判明するのであり、かかる稚拙な嘘しか考えつかないということ自体、川北が精神薄弱(軽愚)で単純であることを裏付けこそすれ、川北の頭が当意即妙に回転するなどといえないし、更に、この傷害の件で川北及び被告人の両名が捜査官の取調べを受けて出嶋殺害の事実が露見してはいけないとの危惧感等から、咄嗟に右言辞を吐いたものであるという川北自身の説明は合理的で十分理解できる。

要するに、右当初の嘘の説明をもって川北供述の信用性を論難する論旨は理由がない。

(九)  所論は、川北供述によると1.出嶋が被告人らとともに、山代温泉から南又林道に入る際、特に南又林道入口から出嶋の件の犯行現場までの約五〇〇メートルは道路が狭く幾重にも屈曲し自動車の進行は甚だ困難な状況にあるのに、出嶋が何故斯様な場所へ入るのかにつき何ら疑問を発していないこと、2.出嶋は被告人に襲われた際、救いを求めず目立った抵抗もしていないこと、3.出嶋殺害後、死体の隠匿に三〇分位しか要していない計算になることなど、その供述内容には経験則上理解できない点が少なくなく、川北供述は信用し難い、というのである。

そこで検討するに、川北供述によると、出嶋は当夜川北から借金保証の礼をしてもらうことになっていたのであるから、これを期待し、かつ、被告人から途中四十九院の家に寄る旨及びその後大便をする旨説明を受けて所論南又林道に連れ込まれたというのであるから、知り合いである被告人らの所論行動に何ら疑問を抱かなかったという点も特に不自然でなく、また、川北供述の如く出嶋が被告人から突然刃物で左脇腹を刺され、更に執拗な攻撃を受けたとすれば、突然の兇行による負傷、恐怖感等のためその場から逃走せんとするのみで、救いも求められない等所論のような状況に陥ることはままありうべきことであり、更に、川北供述によると、被告人らは午後八時ころ落ち合った後、出嶋を車に乗せ、南又林道で殺害後午後九時半ないし一〇時ころに被告人方工場に戻ったというのであるが、右時間関係については当時逐一計時し、確認のうえ行動していたというのでもないから、右が必ずしも正確といえないにしても、川北供述全体の信用性が左右されるものでもなく、仮に右時間関係を前提にしても川北供述どおりの殺害、死体遺棄等の事実が実現不可能とまではいえない。

これを要するに、川北供述の前記内容的不合理性をいう論旨は理由がない。

四  以上詳細説明した次第であって、所論のとおり川北供述中には不明瞭な分もないではなく、また、弁護人の尋問に対し、しばしば沈黙したりする部分も見受けられるが、川北供述は所論にかかわらず、被告人と共謀による出嶋の件に関する部分を本件強盗致死未遂事件との関係において考察すると素直に了解でき、被告人と出嶋の件の犯行を共謀するに至る経緯、犯行状況、犯行後の行動等に関するその供述は、大筋においてほぼ一貫しており、経験したものでないと供述しえないような事実を含み、前叙のように客観的証拠との矛盾や不自然不合理な部分もないから、原判示第一及び第二事実に関する川北供述部分は十分信用できる。論旨は理由がない。

(兇器とされる切出し小刀について)

所論は、要するに、原判決は、出嶋刺突の刃物と本件強盗致死未遂事件において被告人が川北を刺突した切出し小刀とが同一物であるとし、これが被告人と出嶋の件とを結びつける有力な物的証拠となるとしているが、そもそも両者が同一物であると認めるに足る証拠は存在しないから、右は事実を誤認したものである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、《証拠省略》によると、出嶋の遺留着衣(背広上衣、長袖シャツ、メリヤスシャツ)及び本件強盗致死未遂事件の川北の着衣(肌着、セーター)には、片刃の刃器によると推認される損傷があり、刃の幅については、出嶋の遺留着衣のものは約二センチメートル、川北の着衣のものは約一・七センチメートルないし二・一センチメートルのものと推認され、刃幅はよく類似するものといえるが、着衣の損傷状況から両刃器が同一物であるとは断定できないというのであるし、出嶋の件の犯行と本件強盗致死未遂事件とが計画的犯行の一環で、これを前提に考察してもなお両刃器が同一物であると推認するに足る証拠も認められず、結局両刃器が同一物であるとした原判決は事実を誤認したものであるといわざるを得ない。しかしながら、前叙のとおり川北供述は十分信用が措け、これに原判決挙示の爾余の関係各証拠を総合すれば、被告人は原判示第三事実に使用したものと同一物であるとはいえないが刃物でもって原判示第一事実のとおり出嶋の左脇腹等を刺突したと断ずることができるから、右事実誤認は判決に影響を及ぼさない。論旨は理由がない。

(被告人のアリバイについて)

所論は、要するに、被告人にはアリバイがあるのに、これを否定した原判決には事実の誤認がある、というのである。

そこで検討するに、被告人は出嶋の件の犯行に関するアリバイにつき、捜査段階以来原審第二回公判期日まで一貫して昭和四七年五月一一日午後八時ころから一二時ころまで中野健一方にいた旨供述しているが、原審第二回公判調書中の証人中野健一及び同山田進の供述記載部分によれば被告人の右アリバイ内容に沿う事実の存在しないことは明らかであり、また、被告人は右のごとく主張し、かつ、右中野及び山田両名の証人尋問時に自ら反対尋問をなして自己の主張に沿う供述を得んとしながら、被告人の父鉄男が原審第六回公判期日において証人として、「五月一一日午後一〇時過ぎころ、自宅でテレビ番組「地の果てまで」を見ていたところに、寝巻姿の被告人が二階から降りて便所に行った。妻に「今日は則男は早く寝たのか。」と問うと、妻は「今日は早く寝た。」と答えた。」旨供述し、同第一四回公判期日においても同趣旨の供述をするに及び、被告人も原審第一五回公判期日に右鉄男供述と符節を同じうし、従前のアリバイ内容と全く異なる内容、すなわち、「五月一一日は午後七時ころ、工場での仕事を終え、父はブルーバードに乗って山中のゴルフセンターへ行き、自分は軽四輪自動車に母を乗せて山中の自宅へ帰った。三、四〇分外出して山中温泉の総湯へ行った以外、興味のあるテレビ番組もなかったので、二階自室にいた。父は一〇時過ぎころ帰宅したが、自分はその後階下の便所へ行った。五月一一日中野方へ行ったのが間違いで、長い未決勾留中にいろいろなことを思い出した。中野のところへ行き山田に見合いの感想を聞いたのは、川北、出嶋及び自分の三名で加賀市役所へ印鑑証明書を取りに行った日である。」旨供述するに至ったが、被告人のアリバイ供述の変更経緯自体はなはだ不自然であるうえに、その変更理由の説明も首肯し難く、更に、所論に沿う前記鉄男の供述記載部分及び当審証言並びに霜上美弥子の当審証言は爾余の関係各証拠に比照して信用し難く、結局被告人が自宅にいたとのアリバイも到底認めるに由ない。したがって、被告人のアリバイを認めなかった原判決には所論のような事実誤認はない。論旨は理由がない。

控訴趣意第二点中原判示強盗致死未遂に関する事実誤認について

所論は、要するに、原判示強盗致死未遂に関し、被告人に殺意は勿論、金員強取の意意もなく、仮に金員強取の意意があったとしても、被告人が川北に負わせた顔面の切創からの出血を見て気分を悪くしそれ以上の犯行を自己の意思により中止したのであるから中止未遂とすべきであるのに、被告人の所為を強盗致死未遂罪に問擬し、かつ、中止未遂には当たらないとした原判決は事実を誤認したもので、右事実誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、原判決挙示の関係各証拠を総合すれば、所論にかかわらず原判示強盗致死未遂の事実を優に認めることができ、原判決(弁護人の主張に対する判断及び補足説明)欄第二・一及び三に認定・説示するところ(ただし、同欄第二・一の内、川北の検察官に対する昭和四七年八月一五日付供述調書とあるは除くものとする。)も十分肯認できる。すなわち、川北に対する殺意及び強取目的を自供内容とする被告人の検察官に対する昭和四七年五月三〇日付及び司法警察員に対する同月一四日付、同月一七日付各供述調書の信用性を検討するに、被告人は昭和四七年五月一四日川北に傷害を与えたことから同日午後一〇時五〇分強盗殺人未遂罪の被疑者として緊急逮捕され、その日のうちに強取目的及び殺意を認め、同月三一日強盗致死未遂罪として起訴されるまで強取目的については終始一貫して認め、殺意についても同月二五日検察官の取調べの際、一旦これを否認したものの、同月三〇日に再びこれを肯認するに至ったもので、その間の捜査官による被告人の取調べに格別違法不当と目されるものがあったとは認められず、被告人自身も原審第一七回公判期日で前記供述調書等には記憶のまま供述したことが録取されたと一度は認めているうえ、被告人の前記各供述調書の記載内容は、爾余の関係各証拠によって認められる犯行状況及びその結果等の事実、つまり被告人が川北を人気もない林道中に連れ込み、突然その顔面に水様のものを掛け、その右横腹を刃先の一部が欠けているとはいえ、刃体の長さ約一〇センチメートルのナイフで刺突し、続いて身体及び顔面を切りつけ、更に倒れた川北の腹部めがけて突きかかる等、執拗に人を殺害するに足る兇器で人の枢要部を攻撃し、川北に一か月の安静加療を要する右前胸部貫通刺創、右胸部・両肩・右上腕・右手掌・左肘部各切創、右第九肋骨完全骨折等の傷害を負わせ、右負傷の幅は三ないし六センチメートルに及び、その多くは三ないし五針の縫合を要するものであったという事実及び被告人は重傷を負って病院へ連れていく様哀願する川北の意向を無視し長らくそれに応じようとしなかった事実等ともよく符合するもので、被告人の前記供述調書の供述記載中、殺意及び強取目的を認める部分の信用性には疑を挾む余地はなく、所論のうち中止未遂の点については、川北が被告人の執拗な攻撃に対し必死に抵抗し、更に軽四輪貨物自動車に飛び乗って逃走したため、被告人の所期する川北に対する強盗致死が叶わなかったと認められるから、到底中止未遂とは認められず、所論に沿う被告人の原審及び当審における供述等はそれ自体不自然不合理な部分も多く、かつ、爾余の関係各証拠と比照して到底措信し難い。したがって、原判決には所論のような事実誤認は認められない。論旨は理由がない。

控訴趣意第三点(量刑不当)について

所論は、要するに、被告人を死刑に処した原判決の量刑が重きに過ぎて不当である、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して検討するに、本件は被告人が月々二万円の小遣いを貰いながらも、トルコ風呂等での遊びを重ねるうちに借金の返済と遊興費の捻出に苦慮するに至り、その挙句、まず友人の川北をして金融業者から借金をさせたうえ、川北を殺害してその借入金を強取することを計画し手筈を整えたところ、金融業者から保証人を要求されるに及び、被告人らの依頼により好意から保証人となってくれた出嶋をも殺害すれば、右計画に基づく犯行の露見を防止しうると考え、加えて他人に氏名、住所を偽り、また身を隠す等深く企んで、後日自分自身も殺害の危険に遭うことは露知らぬ川北を言葉巧みに出嶋殺害に誘い金融業者から金借に成功した後、保証人となってもらった礼をするから等と甘言を弄して出嶋を夜間人の通行の全くない林道の奥に連れ込み、被告人らを信頼し何らの不安感も持っていなかった同人に対し、被告人において、突然刃物で数回脇腹等を刺突し、更には根切りヨキで頭部を殴打して殺害し、その後その死体を発見困難な右殺害現場付近の谷川の橋下に運び投棄してこれを無残にも白骨化させ、更に数日後当初の目的通り川北を山中に誘い込み、同人をも殺害してその所持する前記借入金を強取せんとしたが、川北の必死の抵抗に遭い、重傷を負わせたにとどまり、所期の目的を遂げ得なかったという事案で、各犯行の動機に同情すべき余地は微塵も窺われないうえに、いずれも用意周到冷静熟慮のもとに計画的に敢行した犯行で、特に出嶋に対する殺人、死体遺棄はその犯行の手段、態様も極めて冷酷、非道であり、かくしてようやく一人前の職人として成長しその将来を期待していた出嶋の両親らの家庭的幸福を一瞬にして奪い去ったもので、その無念悲嘆は推測するに余り有ること、被告人は出嶋殺害につき捜査段階以来終始無実を主張し、当初のアリバイ主張が崩れるや、新たな虚偽のアリバイを主張する等し、全く改悛の情を示さず、特に出嶋の母親が原審公判期日で「白状すればどんなことでもするのに。」「自白してさえくれれば、できるだけの減軽はしてやりたいと思っております。」等と悲憤の中にもなお温かい慈悲の心を開き被告人が翻意し悔悟の念を示す機会を与えてくれたにも拘らず、全く悔悟の状を示さず、被告人はその後も従前どおりの供述を繰り返すばかりであること(当審第一一回公判期日において、裁判長から出嶋のことをどのように思っているか等の質問を受けた際の被告人の応答振りをみるにつけ、益々その感を強めざるを得ない。)等の事情に徴すれば、被告人には格別の前科もないこと、近時裁判所において死刑の言渡しには従前にまして一段と慎重になりその件数も減少する傾向にあること等を十分に斟酌しても、原判決が右と同様の説示のもとに被告人に対し原判示第一の殺人罪につき死刑を選択処断すべきものであるとしたことは相当で、これを軽きに変更する余地は存しないものというべきである(なお、量刑不当の所論中の重要部分は、被告人が原判示第一及び第二の事実については無実であることを前提としたうえで、斯様に無実の被告人を死刑に処した原判決の量刑が不当である旨述べるものであるが、右無実を前提とする部分はひっきょう事実誤認の主張に帰するもので、これについては既に判断したとおりである。)。論旨は理由がない。

よって、本件控訴は、その理由がないから刑事訴訟法三九六条に則り、これを棄却することとし、当審における訴訟費用については刑事訴訟法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととする。

以上の理由により、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 辻下文雄 裁判官 石川哲男 阿部文洋)

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